テレビ東京「美の巨人たち」6月5日放送(2010年ブログ投稿当時)の重森三玲作『東福寺方丈八相の庭』の特集をご覧になりましたか?
白砂で出来た大海原に、横たわった6メートル近い巨大な石とその周りに屹立したいくつもの奇岩、市松模様に大きく刈り込まれたサツキなど、大胆で自由で且つ、自然の厳しさを最小限の要素で繊細に表現した重森三玲の世界観を紹介した内容です。
東福寺へは、私も実際に訪れたことがあり、番組を観て、その地で初めて庭園を見たときの不思議な感情がよみがえりました。
いわゆる純日本式にはないモダン庭園なのに、なぜか和の心を感じたのです。
ところが、ある本を読み、自分の不思議な感情のわけを理解しました。
長谷川櫂著「和の思想」より
この国の人々ははるかな昔から自分のことを「わ」と呼んできた。(中略 )中国側の官僚たちはこれをおもしろがって「わ」に倭という漢字を当てて、この国の人を倭人と呼ぶようになった。倭という字は人に委ねると書く。身を低くして相手に従うという意味である。(中略 )
ところが、あるとき、この国の誰かが倭国の倭を和と改めた。この人物が天才的であったのは和は倭と同じ音でありながら、倭とはまったく違う誇り高い意味の漢字だからである。和の左側の禾は軍門に立てる標識、右の口は誓いの文書を入れる箱をさしている。
つまり、和は敵対するもの同士が和議を結ぶという意味になる。(中略 )
和という言葉は本来、この互いに対立するものを調和させるという意味だった。
そして、明治時代に国をあげて近代化という名の西洋化にとりかかるまで、長い間、この意味で使われてきた。和という字を「やわらぐ」「なごむ」「あえる」とも読むのはそのためである。
なるほど。
20世紀に新たに創られた八相の庭と13世紀に建立された東福寺、禅宗の寺と前衛絵画。新旧和洋入り交じった、一見すると、異質なものたちですが、本来、和とは異質のものを調和させ新たに創造する力のことで、私はそこに和の心を感じたのだということがわかりました。
さらに、私たちは、空間づくりにおいて石や木などの自然素材とアクリルやメラミンなどの人工素材を組み合わせてデザインすることが多々あります。
それでもひとつの空間として成り立つよう、工夫をします。これも、調和を保つことで和の思想に基づいた行為なのだと感じたのです。|S|